色の日本史



【江戸時代の色】

江戸時代は、町人文化が発展する時代です。貴族や寺社、武家の特権階級を中心とした文化だけではなく、富裕な商家や社会の大部分を占める庶民が文化の舞台に登場します。色においても、時代の中心となる階級や階層が好む色が、その時代の色を表現していましたが、江戸時代では、一般大衆が好む「流行色」のような現象が出てきます。現代のように、人気の「○○色」や「○○染め」の流行現象は、元禄時代から盛んになっていきます。


【流行色の発信源、歌舞伎役者
江戸時代に流行を作った最大の要素は、歌舞伎でした。歌舞伎の人気役者の衣裳にある柄や色は、多くのファンにもてはやされ、まさに流行の発信源となりました。 役者は、いまでいうタレントで、それを発信するマスコミ・雑誌の役割は、役者絵を描く浮世絵画家や瓦版・浮世絵の版元が担いました。その瓦版・浮世絵を通じて、またたくまに庶民の間に、人気役者の衣裳の柄や色が流行したのです。色名なども役者の名前から名付けられ、それを役者色と言います。
 
役者色の色調
江戸時代の歌舞伎役者で人気のあった役者色は、たくさんありますが、代表的なものをあげます。染色では、路考(ろこう)茶、梅幸茶、芝翫(しかん)茶、団十郎茶、市紅(しこう)茶など茶が多かったようです。路考は、歌舞伎の女形、瀬川家(菊之丞)の俳優名、梅幸は初代尾上菊五郎、芝翫は三代目中村歌右衛門、団十郎は市川団十郎、市紅は五代目市川団蔵ををそれぞれ指しています。
路考茶(ろこうちゃ)
梅幸茶(ばいこうちゃ)
芝翫茶(しかんちゃ)
 
【江戸の色と粋】

江戸時代は、庶民には、茶系統、鼠系統、青系統の色が好まれました。江戸時代も中期なると、町人たちも富を築き次第に贅沢になり、幕府は奢侈禁止令をを出して、庶民の華美・贅沢を禁止しました。紫や紅の色使いは、豪奢ということから一般庶民の間では禁止されており、違反すると罰として軽くても追放の憂き目にあうとされていました。「紫で都を捨てる本望さ」という川柳もあるぐらいです。
それで、茶や黒、鼠系統の地味な色合いの縞や格子の着物を着るようになっていました。その数は、役者色も入れると相当な数に上り、「四十八茶百鼠」といわれるぐらいです。

そういう状況下で、町人は、武家に対抗するかのように、野心を捨てて意気地を通し、あか抜けしたさっぱりした精神性・態度やおしゃれを好みました。それが「粋」といわれる美意識です。利休鼠のような鼠系統か、路考茶のような茶系統、納戸色のような藍系統の微妙な配色を上手に楽しみました。

利休鼠(りきゅうねずみ)
納戸色(なんどいろ)