青ものがたり
青は、人間の暮らしになじみの深い色です。見上げる青い空、視線のかなたに広がる紺碧の海、そして、ゆるやかに流れる大河の青い水面。地球上には、青がいつも広がっています。しかし、青を定義することは、またむずかしいことともいわれています。というのは、青は人々の暮らしになじみやすいだけに、民族や時代によって、さまざまなとらえられ方をしてきたからです。
青の語源

「あお」という色には、青、蒼、滄、碧などの漢字があてられます。「青」は、旧字体で書くと意味がよくわかります。中国古代(後漢時代)の字書「設文解字」(せつもんかいじ)によれば、「東方の色なり。木、火を生ず。生丹に従ふ。丹青の信、言必ず然り」とあります。旧字体の文字は、「生」と「丹」から成り立っており、「生」は、木を象形し、「丹」は朱系の色を示しています。五行説に従えば、「青」は丹つまり赤につながっていることになります。
「滄」は寒い、あるいは涼をあらわすところから、滄海、滄浪のように用いられ、海の色をあらわしています。
「碧」は文字通り石で、青く美しい宝玉をあらわします。「みどり」あるいは「あおみどり」とも読まれます。


日本の青と藍のはじまり

日本の古代に藍の製法と染色法が中国より伝えられる四、五世紀までは、青は、山から出土する青玉と、山藍のような緑濃く染まりつきやすい葉を摺り染めにしていたものを「青衣」と 称していたといわれています。そして、藍の色素を含んだ植物の葉で染 める技術は、5世紀の応神天皇から雄略天皇の頃といわれています。
聖徳太子が定めた冠位十二階では、青も位置づけられていました。この青も、藍染めの衣装でした。奈良時代に入れば、藍の染色技術は完成され、正倉院の宝物などに見られるように膨大な染織品がつくられました。また、仏教が伝えられるようになると、写経の和紙にも染められ、教典の装飾として利用されました。

また、平安時代では、王朝人の間で詩歌が詠まれるようになると、詩歌集の装飾された料紙に藍が染められました。
 

中世の時代になると、藍甕に布を入れて染める紺掻屋(こうかきや)といわれるものがあらわれ、一般の民衆にも浸透しはじめます。それが近世になって「紺屋」(こうや)となります。
安土桃山時代には、辻が花という多彩な絞染の小袖や陣羽織が戦国武将の命で染められましたが、その中にも藍染めによる澄んだ青色が見られます。
江戸時代になれば、木綿や麻など植物性の繊維にもよく染まる藍染はますます盛んになり、絣、型染、筒描など庶民から将軍大名にいたるまで、藍で染めた青は広く愛されました。

和漢朗詠集、正倉院の琵琶袋

青の言葉

■青は藍より出でて、藍より青し
弟子が先生よりすぐれていることにいう。中国,戦国時代末の儒家の教え「荀子」にあります。

■青二才、青侍
年若く、経験が浅く未熟なことや身分の低いことをさす。
ここでいう青色は、日本の古代の青の淡い色をさしていたといわれています。