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中国や日本では、紫色を植物染料から得てきたが、古代フェニキアでは貝を使った紫の染色が行われていた。アクキガイ科の貝の内臓には、パープル腺という特殊な腺があり、これを取り出して太陽に当てると黄色から赤味がかった紫色に変化する。
地中海沿岸では紀元前千六百年頃からこの染色技術が発達したが、わずか1グラムの色素を得るために二千個もの貝を必要とする、きわめて貴重な染色であった。そのため、ティリアン・パープル、ロイヤル・パープル(帝王紫)と呼ばれ、ギリシャ・ローマ帝国では皇帝や貴族にしかその使用は許されなかった。
伝説によると、シーザーが暗殺されたあと、跡を継いだアントニウスはエジプトに帰っていた女王クレオパトラを呼び寄せるが、そのときクレオパトラを乗せた船の帆は、この貝紫で染められていたといわれている。
またこの貝による紫の染色は、南アフリカ大陸でも行われていた。
アンデス山脈から太平洋岸一帯は、紀元前三千年頃から高度な文明が発達し、十六世紀はじめまで二千数百年という長きにわたって栄えた地である。各地の遺跡からは、色彩、技法ともにみごとな染織品が発掘されているが、貝紫の染織品も、紀元前十二世紀頃の木綿布で現存する最古の遺品といわれるものがあり、さらに儀式のおりに使われたと思われる華麗な漁網をはじめ、数多く出土している。
わが国でも、志摩の海女たちあ、イボニシガイのパープル腺を松葉につけて自分の手ぬぐいに印を付け、それをお守りにする風習があった。
日本では、古代から海辺ではこうした民族的な意味合いで染められていた可能性はあったかもしれないが、裂や糸に染めて高貴な人々が着るような伝統はなかった。
日本の色辞典 紫紅社
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