季の彩〜ときのいろどり〜
京都を中心とした日本の歳時記とその季節の色をご紹介します。
[卯月 4月]

春爛漫(らんまん)の4月。

待ち望んだ桜も満開になり、人の心も華やぎます。
花を待ち、満開になり、やがて散る。そのどれをも私たちは愛(いと)しむのです。

さまざまな花が咲き始め、この国がいっせいに明るくなり始める季節です。


[写真インデックス]
桜色 桜鼠 灰桜色
桜
桜
桜
都をどり
花まつり
氷色
土器茶
山吹色
やすらい祭り
吉野太夫供養
壬生狂言
山吹

 
桜色 桜鼠 灰桜色

桜


バラ科サクラ属。

日本で花と言えば桜。そう言うようになったのは平安時代からだそうです。
当時は山桜しかありませんでしたが、それから品種改良がなされ、現在では300種類以上あり、八重桜や色の濃いもの薄いものと様々に私達を楽しませてくれます。
なじみの深い染井吉野(ソメイヨシノ)は江戸時代に作られたものだとか。
枝いっぱいに咲き誇る桜を見あげると「爛漫(らんまん)」という言葉は、この花のためにあるのかもしれないと思います。
そして、人生の中で出会った様々なシーンも桜とともによみがえってくるのです。

さまざまの事思ひ出す桜かな
芭蕉

一年のうちの、ほぼ一週間だけ。あっちで咲いた、どこそこは散りそうだと、日本はこの花の話題で持ちきりになります。これだけ私達に待ち望まれる花はありません。

花霞 花曇り 花冷え 

桜

春は大気中の水分も多くなり「霞(かすみ)」とよばれる、薄く煙のようなものがたなびく景色に出会います。
それが桜の花と出会うと「花霞」と呼ばれるのです。

さくら さくら 
やよいの空は 見渡すかぎり
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざや いざや 見にゆかん

桜は好天だけが良いとは限りません。
しっとりとした天気の日には、かえってしみじみと桜を愛でることができるのです。

また晴天ばかりだと花もすぐに散ってしまいますが、花冷えの日があると、それだけ花の持ちも良くなります。

花吹雪 落花
桜

桜の盛りは短く、気が付けばちらほらと散り始めます。

しかし、風の中を舞い散る桜の潔さや儚(はかな)さを、いにしえより日本人は愛しました。
視覚的な美しさとともに精神的な美も求めたのかもしれません。

平安時代には、その儚さや甘美な切なさがよく歌に詠まれました。

ひさかたの光のどけき春の日に
      しづ心なく花のちるらむ
紀友則

また、武士の時代には「花は桜木、人は武士」と言い、太平洋戦争時には軍歌の「同期の桜」などにその精神が表れています。

ちらほらと散るさまも趣がありますが、強い風の中の桜吹雪もまた良いもの。
また、桜の花びらが水面に浮かんで流れるさまを「花筏(はないかだ)」と言います。

 

都をどり
都をどり
桜が少しずつ咲き始めるころ、京都五花街と呼ばれる「祇園甲部・宮川町・上七軒・先斗町・祇園東」のうち祇園東をのぞく四つの花街で華やかな舞踊会が開催されます。(祇園東は秋のみの公演)

その中でも祇園甲部が開催する「都をどり」は、最初に開催され、祇園の舞妓や芸妓が舞い踊ります。
演目は毎年変わり、美しい四季を背景にして、井上流の京舞が披露されます。
その他の花街も、宮川町ー京おどり、上七軒ー北野をどり、先斗町ー鴨川をどり、と呼ばれ京の春の風物詩となっています。

都をどりの歴史は、明治5年(1872)、東京遷都に伴い、京都を活気づけようとして博覧会の計画が進められ、その「附博覧(余興)」として披露されたのが始まりだとのこと。祇園の芸妓・舞妓の優美な姿と、華やかな舞台は、The Cherry-Blossom Danceの名で広く海外にも知られています。

花まつり
花まつり

4月8日をお釈迦様が誕生された日として全国の各寺院で「花まつり」が行われます。仏生会(ぶっしょうえ)、灌仏会(かんぶつえ)、降誕会(こうたんえ)などが本来の名称です。

様々な花で飾られた小さな御堂(みどう)の中に甘茶の入った水盤を置き、そこに天地を指した小さなお釈迦様が祀られます。参拝に来る人々は、そのお釈迦様に甘茶をかけて釈迦さまの誕生を祝い、お釈迦さまの智慧と慈悲の教えを信じてゆくことを誓い、また子供がすくすくと育つことを祈ります。

お釈迦様は、今から2500年ほど前、 ヒマラヤ山脈南麓の釈迦国の王子として生まれました。お釈迦様の母親にあたるマヤ妃が胎内に白い象が入る夢をみて身ごもったといわれています。
出産のため実家に向かう途中のルンビニー園(インドとネパールの国境近く)という花園で生まれました。
そのときすぐにお釈迦様が東へ7歩を歩み、右手を天に掲げ『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)』と言われ、それを聞いた天に住む竜が甘露の雨を降らしたといいます。

花の御堂はルンビニー園を、甘茶は龍が降らした甘露の雨を表わします。
また白い象の伝説にもとづいて、多くの寺院では作り物の白象の背に花御堂を乗せ、子供たちが市内をパレードします。

やすらい祭り

やすらい祭り

やすらい祭は、「安良居祭」「夜須礼祭」とも書き、太秦の牛祭、鞍馬の火祭とともに「京の三奇祭」の一つで、鎮花祭(はなしずめまつり)とも言われています。平安時代、花の散る頃に疫病が流行り、これを疫神のたたりと信じ、花の精を鎮め無病息災を祈願したのがこの祭りの起源とのことです。

花傘、または風流傘と呼ばれる大傘を中心に鉾持、子鬼、赤毛と黒毛の鬼に扮して鉦(かねや太鼓を賑やかに打ち鳴らし「やすらい踊り」を披露しながら神社にむかいます。途中、人々はお囃子の音が聞こえてくると、行列の中央にある直径2メートルほどの緋色の大傘の下に入り込みます。追いたてられた悪霊が宿るのがその大傘で、その下に入ると悪霊から逃れられると伝えられているからです。

この祭はその年最初の京の祭りとして、この日が晴れるとその年の京の祭はすべて晴れると言われています。

吉野太夫花供養
吉野太夫供養

江戸時代初期の島原の名妓、二代目吉野太夫の追善(ついぜん)法要で、北区鷹峯北鷹峯町にある常照寺で営まれます。

吉野太夫は美貌に加え、和歌や茶の湯、香など諸芸にすぐれていました。また信仰にあつく、常照寺を創建した日乾に帰依、朱塗りの山門を寄進し、墓も常照寺にあります。

隣接する光悦寺から常照寺まで、島原の太夫が往時のいでたちで、かむろや大傘持ち・女中などを従えて内八文字でゆっくりと練り歩きます。

その後、太夫の供茶と墓前祭が行われ、境内で野点のお茶会も催されます。

この頃はちょうど洛北の桜が散りそめの頃になり、太夫の美しさは桜の美しさに例えられるといわれています。

   
雪柳
バラ科シモツケ属の落葉低木。
道沿いに植えられた雪柳の枝がゆったりと垂れ下がり、雪のような小花を一面に咲かせると、春はまさにたけなわです。

こぼれるように咲くこの花は、日本原産。
ほとんどが庭などに植えられたもので、自生しているものを見るのは稀ですが、関東以西の川岸などには自生し、岩柳の別名もあります。

桜の薄紅色と雪柳の純白が春の風景を彩ります。
 

  土器茶  
壬生狂言
壬生狂言
「壬生さんのガンデンデン」として親しまれる壬生狂言は、正しくは「壬生大念佛狂言」といい、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。

鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚上人が、仏教を分かりやすく広めるために、身ぶり手ぶりで踊ったのが始まりと伝えられています。

現在上演されるものは、30曲あまりですが、一般の能狂言とは異なり、鉦(かね)・太鼓・笛の囃子に合わせ、すべての演者が面をつけ、無言で演じられます。

演じるのは、「壬生大念佛講(こう)」の人達。会社員、自営業などの本職をもち、小学生から80歳代の長老までの、おもに地元に居住する約40名の男性が狂言を演じています。

連日序盤に行われる「炮烙(ほうらく)割り」は、節分の日に奉納された炮烙を割る厄除けの行事です。

昭和51年に国の重要無形民俗文化財として、京都府下では第一番に指定を受けました。
 

  山吹色  
山吹
山吹

バラ科ヤマブキ属の落葉低木。

野生のものは一重咲きで、すがすがしく可憐です。
庭先や生垣に栽培されるものは華やかな八重咲きで果実は実りません。

八重山吹といえば、太田道灌(おおたどうかん)の故事を思い出します。

戦国時代の武将であった道灌は、若い頃は武勇を誇る粗野な性格で、風流なことには見向きもしませんでした。

鷹狩に行ったある日、にわか雨にあった道灌は一軒の貧しい農家を訪ね、蓑(みの)を貸して欲しいと声をかけます。するとその家の少女が何も言わずに山吹の花を一枝差し出しました。
それを見た道灌は「花が欲しいのではない」と怒り、雨の中を帰りました。

そのことを皆に話すと家臣の一人が
「後拾遺集に、兼明親王が詠まれた

七重八重花は咲けども山吹の
  み(実)のひとつだになきぞかなしき

という歌があります。その娘は蓑ひとつない貧しい悲しさを、その歌の山吹に例えたのではないでしょうか。」と言いました。
それを聞いた道灌は自分の無学を恥じ、以来歌道を学び、文武に秀でた武将になったと伝えらています。

山吹は万葉集にも詠まれ、いずれも美しい人を思うやさしい歌が多いようです。
 
   

写真協力
岡田克敏 中田昭