「夏も近づく八十八夜。野にも山にも…」という茶摘みの歌で親しまれています。八十八夜は、立春から数えて八十八日目という意味で、現在では5月初旬(2日頃)になります。新茶を摘む茶摘みの日をさし、この日に摘んだ茶を飲むと縁起がよいとされています。

八十八夜の由来ー種まき、茶摘み、養蚕
八十八をたすと、米という字になります。この日は農家にとっては特別に重要な日で、「ハチヤブリ」といわれ、たいていの家では苗代に種籾を蒔くそうです。 「八十夜の別れ霜」といわれますが、まだ遅霜が完全になくなる時期ではありません。種まき、茶摘み、養蚕に忙しい農家にとって、この遅霜がいちばんの命取りです。それを忘れないためにために暦に載せたといわれています。 特に養蚕時代には、遅霜に気を使い、夜に冷え込みがあると、夜中に桑畑に行き、畝間の所々に落葉を積み、いぶし焚を行って煙を棚引かせ、桑の若葉を霜の害から守ったものだそうです。

お茶壺道中
江戸時代、将軍用の新茶を宇治から江戸まで運ぶ御茶壺道中が行われていました。これは徳川三代将軍家光の時に始まったといわれています。毎年5月に、宇治に江戸城から茶壺が届きます。それに葉茶を詰め、約半月かかって江戸城まで運びます。新茶を摘んだお茶壺が宇治を出発するまで、新茶をほかに出すことが禁じられていたようです。

端午の節供は、3月3日の女の子の節供、雛祭りに対して、5月5日で男の子の節供です。菖蒲と粽(ちまき)を供え、天高く鯉のぼりをたてる風景は、今でも多くの家で見られます。
端午の節供の由来

端午の「端」は、初めの意味で、月の初めの午の日をさします。もとは5月に限らなかったそうですが、それが、古代中国の「月数と日付が一致する日付を特別な日」と考える重日思想と相まって、5月の5日だけを特別に指すようになったものです。

中国では、古代戦国時代の楚の屈原やその弟子の宋玉の詩作品を中心に集めた書物「楚辞」にも歌われているように、邪気払いとして菖蒲や蓬(よもぎ)を摘み、家や門に飾る風習は、紀元前からあったようです。
それが日本に伝えられ、奈良時代の大宝令にも規定があり、5月5日は天皇はじめ文武百官たちが菖蒲でつくった鬘を冠につけ邪気をはらったとされています。

それが武家の時代になると、菖蒲が「尚武」に通じることから、男の節供となり、「鯉の滝のぼり」というように雄々しさの象徴である鯉のぼりをたて、鎧兜を飾るようになり、それが現在まで伝えられています。

菖蒲粽、薬玉
端午の節供にかかせない菖蒲は、奈良時代から邪気をはらう花として考えられていました。昔は、魔除けとして、玄関の軒に菖蒲を葺く風習が行われていました。また、粽の起源説はいくつかありますが、その多くは中国の詩人、屈原に関するものです。例えば、屈原が汨羅で投身自殺をした日が5月5日にあたることから、この日にいたるごとに粽を投げ入れたといわれています。また、もとは茅の葉を用いたことからの名であるという説もあります。また、幸福をもたらし、邪気をはらい長寿をえるということから薬玉を柱にかける風習もあります。