6月1日は、旧暦で「氷の朔日(こおりのついたち)」と言います。宮中ご用達の氷室(ひむろ)が各地に置かれ、毎年この日に、氷室に貯蔵しておいた天然氷を食べる行事がありました。今でも地方によっては、6月1日に、氷を食べる習慣が残っているところもあります。

氷の朔日の由来
平安時代の朝廷の儀式を定めた書『内裏式』によれば、「氷様(ひのためし)」という氷を使った占いについての記述があります。 これは、元旦の節会の時に、氷室の氷の厚薄の状態を宮内省から奏上してその年の豊凶を占うというものです。氷には、そうした神秘的な要素がありました。
有名な清少納言の『枕草子』の中でも、氷を「削り氷にあまづら入れて、新しき金まりに入れたる」を「あて(高貴)なるもの」としています。「あまづら」は天然の甘味料、「金まり」は金属製のお椀のことで、かき氷の“みぞれ”のようなものであったようです。当時はめったに口にできない最高級の氷菓子でした。
宮中には、各地のご用達の氷室(ひむろ)から、毎年天然氷が届けられていました。

将軍家にも氷は献上されました。江戸の将軍への献上氷には、富士山ルート、奥多摩ルートに加賀藩からの金沢ルート三つの輸送ルートがあったようです。この日に、江戸城内に“御祝儀氷”が配られ、献上氷の沿道には、冷水のしぶきを1滴でも受けようと江戸っ子が行列したと言われています。
氷は、それほど庶民の手の届かない、貴重品だったのです。

夏越(なごし)の祓いと 氷の朔日
毎年6月晦日(みそか)に行われる、鳥居に付けた茅の輪をくぐらせ、夏の厄除けをする「夏越の祓い」には、「水無月」という菓子をいただきます。
水無月は、白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に庖丁された菓子です。水無月の三角形は、実は氷室の氷を表し、6月朔日に氷室の氷を口にすると夏痩せしないと言われていました。また、小豆は悪魔払いの意味を表しているようです。
「夏越の祓い」は、夏の風物詩ともいえる日本古来の風習で、1月から6月までの半年間の罪と穢れを除き去るための祓いです。 素戔鳴尊(すさのおのみこと)が、高間原(たかまのはら)から追放されて簸の川上に降りるに際して 八百万神が素戔鳴尊に課した祓いがその起源と言われています。 6月を夏越の祓い、12月を年越しの祓いといい、晦日に大内裏の朱雀門で行われいていました。

平安時代の頃、6月16日の陰暦の日に、宮中で災いを除く嘉祥(かじょう)の祝いがあり、その日に餅や菓子を食べることから、その菓子を嘉祥菓子と名付けられました。室町時代から江戸時代にかけて、暑気払いや厄払いの意味から、この嘉祥菓子は、一般庶民にも浸透していったと言われています。
嘉祥菓子の由来
江戸時代の図説百科事典「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」によると、仁明天皇の時代、朝廷に白亀が献上されたことを祝って、嘉祥と改元された848年の6月16日、群臣に16の数に因んだ食物を贈ったことに始まるとされています。
この年鋳造された嘉定通宝16文で菓子を買って食べると、その家に福があり、疫病を除くとされました。
これが宮中や武家の間に次第に広まり、暑気払いや厄払いとして、庶民の暮らしの中にも16にちなんだ個数や16文に相当する菓子や餅を買い求めて食べる風習が広く浸透していきました。

嘉祥菓子
江戸時代の嘉祥用の饅頭を御所に納めた記録では、 伊賀餅、桔梗餅、豊岡の里、 武蔵野、源氏藩、味噌松風、浅路飴、 の七種のお菓子を一組をして土器に盛り、 納めていたと言われています。
また、江戸時代の「嘉定私記」(1809年)という文献によれば、江戸幕府の嘉祥の祝いに使われた菓子は、あこや、大饅頭、羊羹、きんとん、煮染麩(にしめふ)などで、杉の葉を敷いて片木盆(えぎぼん)に盛られていました。このように幕府と宮中では、菓子の内容が異なっていました。