| ◆千家十職 |
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土風炉・
焼物師
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永楽 善五郎
えいらく
ぜんごろう
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室町時代末期から、千家十職の土風炉師を勤める永楽家。初代宗禅より11代保全までは、西村姓を名乗る。永楽姓は、12代和全の途中から始まる。10代了全の時に土風炉だけでなく茶陶の分野にも進出。11代保全は青木木米、仁阿弥道八とともに、幕末の京焼の名工の一人といわれ、今日の永楽焼の家祖。華やかな意匠で独自の茶陶を開拓し、紀州徳川家の徳川治宝公から「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印「永楽」の銀印を賜る。15代正全は得全亡き後、叔母の悠(妙全)(得全の妻)を助けて家職をつとめ、妙全の死後、家業を預かり正全となります。妙全は女性のため代の中には入っていませんが、明治42年より没する昭和2年までの19年にわたって家業を継続し、今日の永楽家の家礎を築いたと言っても良いと言われています。現在の永楽家の住居も妙全が建てたものです。
初代 宗禅 2代 宗善 3代 宗全 4代 宗雲 5代 宗筌 6代 宗貞 7代 宗順 8代 宗円 9代 宗巖 10代 了全 11代 保全 12代 和全 13代 回全・曲全 14代 得全 15代 正全 16代 即全 当代17代 善五郎(紘一)
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| 釜師 |
大西 清右衛門
おおにし
せいうえもん |
大西家の家祖は、山城で、広瀬姓を名乗る。都・三条釜座でおよそ400 年前から釜制作に従事してきた。2代浄清は古田織部、織田有楽斎の釜師として有名であり、小堀遠州好みの釜も多く作り、大西家歴代の中でも第一の名手と言われています。7代浄玄は3代浄玄と区別するため「くろ玄」と言われ、2代浄清に次ぐ名手と言われ、大西家中興の祖とされています。
初代 浄林 2代 浄清 3代 浄玄 4代 浄頓 5代 浄入 6代 浄元7代 浄玄 8代 浄本 9代 浄元 10代 浄雪 11代 浄寿 12代 浄典13代 浄長 14代 浄中 15代 浄心 当代16代 清右衛門
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竹細工・
柄杓師 |
黒田 正玄
くろだ しょうげん |
初代は、小堀遠州に茶湯を学び、日々怠ることがなかったので日参正玄の異名を得た。また黒田庄兵衛から柄杓作りの伝を受け、千家の柄杓師となった。子孫代々業を継ぎ13代に至る。 |
| 指物師 |
駒沢 利斎
こまざわ りさい |
初代宗源が指物を家業として自立し、2代宗慶、3代長慶の時代に元伯宗旦の指図を受けて、千家の指物をしたと伝えられています。また4代利斎が表千家6代覚々斎の知遇を得て、千家出入りの茶方指物師となり「利斎」の名を与えら、以来歴代が利斎を名乗り茶道指物を業とし、棚物、香合等を制作する。当代14代。 |
| 袋師 |
土田 友湖
つちだ ゆうこ |
帛紗、仕覆などの茶道具を制作。
初代 友湖は、風流な人で、宗旦の「飯後軒」の額を掲げて、よく茶事を催したと言われる。初代以降、土田家では、通称を半四郎、隠居後を友湖と名乗る。当代12代。 |
| 金物師 |
中川 浄益
なかがわ
じょうえき |
皆具、水指、建水、水次薬鑵、蓋置等の茶道具を制作。
中川家の先祖は、越後で、戦国時代には武具の制作をしていたと言われる。初代紹益が、天正年間に京都に上り、利休の茶道具を作り始める。当代11代。 |
| 塗師 |
中村 宗哲
なかむら
そうてつ |
棗、水指、香合、菓子器などを制作。
中村家の遠祖は、秀吉の四家老の一人、中村式部少輔の家臣であった。吉岡甚右衛門より塗師を譲り受け、以来、塗師職を営む。当代13代。 |
| 一閑張細工師 |
飛来 一閑
ひき いっかん |
棗、菓子器、食籠、香合などを制作。
初代は天正6年〜明暦3年(1578-1657)中国より渡来帰化した人で、千宗旦と親交を結び茶を好み、紙の持味を生かした雅味ある塗物を製作し、世にこれを一閑張と称した。以後代々一閑張の技法を伝え、当代16代。 |
| 茶碗師 |
楽 吉左衛門
らく きちざえもん |
元祖を飴屋(阿米也)といい、一説には瓦師であったと伝えられる。桃山時代に初代長次郎が千利休と出会い、利休の創意を受けて、侘の小座敷で用いるための一碗を作り焼いた。今日に伝わる楽焼の始まりである。
2代常慶から楽家では、吉左右衛門を名乗る。
3代 道入 4代 一入 5代 宗入 6代 左入 7代 長入 8代 得入 9代 了入 10代 旦入 11代 慶入 12代 弘入 13代 惺入 14代 覚入 当代15代。
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| 表具師 |
奥村 吉兵衛
おくむら
きちべえ |
初代吉兵衛から表具家業を始め、覚々斎の取り持ちによって紀州徳川家の大切な書画幅の御用を承り、これより表千家との関係ができ、以来千家の職方として、当代12代。 |
| 陶芸作家 |
井上 東也
いのうえ とうや |
昭和17年生まれ。学生時代から古窯跡を発掘し、唐津焼の徹底調査を行う。埼玉の陶芸家塗師・淡斎に師事。昭和44年、唐津市鏡山山麓に鏡山窯を開く。朝鮮唐津、絵唐津、斑唐津の茶陶ひとすじに、納得のいく作陶を続ける。 |
今泉 今右衛門(12代)
いまいずみ いまえもん |
肥前有田の窯家。寛文年間に始まった赤絵屋十六軒のうちのひとつ。代々赤絵付を専業とし、現在十二代目。 |
大樋 長左衛門(10代)
おおひ ちょうざえもん |
昭和2年、9代長左衛門の長男として生まれる。江戸時代より続く大樋焼の伝統を受け継ぎつつ、10代長左衛門としての創意創作を行い、伝統的な茶道工芸でなく現代の茶道界での、現代の陶芸をめざす。 |
岡田 佳山
おかだ かざん |
昭和23年生まれ。粟田口青蓮院の御用を努め「暁山」の銘を賜った岡田家に生まれる。七代目暁山の技法と母親の茜釜から受ける茶陶意匠の影響を併せて学び独自の路線を歩む。 |
加藤 芳右衛門
かとう よしえもん |
昭和7年、岐阜県無形文化財保持者の加藤十右衛門の長男として生まれる。幼い頃より父より陶芸の手ほどきを受ける。父の八坂窯を受け継ぎ、志野、織部、黄瀬戸の茶陶を中心に制作。昭和49年、芳右衛門を名乗る。 |
川瀬 竹志
かわせ たけし |
昭和28年、大磯生まれ。2代川瀬竹春の次男。祖父である初代竹春が、明治40年より作陶を始める。中国陶磁の染付、赤絵を研究追及。父2代竹春も同様、染付、赤絵、豆彩を制作。竹志は古余呂技窯にて陶芸の道に入り、湯河原に築窯し作陶に専念。 |
久世 久宝(4代目)
くぜ きゅうほう |
大正14年、京都生まれ。初代が、円能斎より久宝の号を与えられ、当代は4代目。立命館大学卒業後、久世家に入る。2代久宝に師事。昭和62年、4代久宝を襲名。初代からの伝統を受け継ぎ、仁清写色絵付のほか、青金襴手、染付なども手がける。 |
白井 半七
しらい はんしち |
江戸今戸焼の陶家。初代は貞享年中(1684)の人。土風炉を製し、また火鉢などの種々の瓦器に釉を施し楽焼と等しいものを製した。代々半七を襲名。また伏見人形に似た、今戸人形をもつくり、好事家に愛玩されている。 |
諏訪 蘇山(3代)
すわ そざん |
昭和7年、京都生まれ。窯名は金水窯。京都市立美術大学陶磁器科卒。父米澤蘇峰に師事。昭和45年、三代目を襲名。襲名後は、青磁を主として新しい技法を加味する。 |
田中 寿宝
たなか じゅほう |
幼少の頃より、土に親しみ、父・寿宝より焼き物の技術を習い、釉薬は、大西政太郎先生に習う。日本画は、内田勇一先生に手ほどきを受け、陶芸に専念・研究する。 |
田原 陶兵衛(13代)
たはら とうべえ |
昭和26年、萩生まれ。父は十二代田原陶兵衛。武蔵野美術大学大学院卒。中里重利に師事。平成4年、十三代陶兵衛襲名。萩焼の第一要素である土の特徴を生かしながら、素直な形の表現をめざし、日々土に向かい、創作に取り組む。 |
通次 阿山
つうじ あざん |
昭和13年、京都生まれ。日本画を池田道夫に師事し、陶芸の指導を父・寛斎に受ける。日本画の技を絵付にいかし、繊細な絵画風京焼の茶陶を制作。茶席に用いられることにより生きてくる美しさをもち、その場の雰囲気を高めるような、存在感のある茶陶をめざす。 |
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中村 翠嵐(2代)
なかむら すいらん
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昭和17年、京都生まれ。陶磁器上絵付業を営む家に生まれ、交趾を特に選んで昭和47年より茶陶の世界に入る。父・初代翠嵐に師事。交趾焼の技術の上に他の要素を加えた茶陶としての交趾作品を一貫したテーマとしている。 |
真葛 宮川香斎
まくず みやがわこうさい |
大正11年、東京都生まれ。陶芸家クラブにて先代清水六兵衛に指導を受けるが、のち退会して父・香斎のもとで茶道具制作に専念する。47年5代香斎(2代真葛香斎)を襲名。「用の大切さ」「用から生み出される美しさ」を知り、「日々新」な気持ちで取り組む。 |
宮川 香雲(2代)
みやがわ こううん |
昭和13年、京都生まれ。父は宮川香斎家から分家した龍谷焼初代宮川香雲。京都市日吉ヶ丘高校美術科卒業ののち、京都市立工芸指導所修了。昭和55年、二代目香雲を襲名。京焼風色絵、乾山風・仁清風の色絵茶碗、水指、鉢など、華やかでありながら抑えた色合いの上品な作品が中心。 |
矢口 永寿(3代)
やぐち えいじゅ |
昭和16年、名古屋生まれ。昭和40年、伯父の二代永寿のもとで作陶に入る。昭和62年、三代永寿襲名。仁清、乾山、染付、祥瑞の作品を中心に制作。使いやすい寸法と茶席の中で調和する道具を心がける。変化を取り入れつつ、初代の品の良さを受け継ぐ |
和田 桐山(4代)
わだ とうざん |
明治34年、数寄者窯として西宮に創窯。明治43年に尼崎に移窯して琴浦窯といい、陶号を桐山と定めた。あらゆるやきものの焼成を志し、楽・色絵・磁器とすべてこなした上、特に美しい焼成の染付に名工の名をほしいままにした。現4代桐山氏は、初代の孫にあたる昭和22年生まれ。 |
| 陶芸窯 |
相生窯
あいおいがま |
那波鳳翔(なばほうしょう)の窯。昭和11年兵庫県相生市生まれ。地元相生で粘土が出たため茶碗を作って焼くと見事な膚の作品ができ、以来地元の土を使用。のちに同地で相生古窯址郡が発見されたのを機に、古窯の研究を積んで相生焼を再興、伊羅保、斗々屋などの茶陶と古窯味の焼〆物を登り窯で焼き、独特の境地を拓いて愛好家に高い評価を受けている。 |
粟田焼
あわたやき |
京都粟田(東山区)付近の陶器の総称。三文字屋九右衛門がはじめたといわれる粟田口焼が最も古く、以降諸窯が盛業となったので、粟田焼の名が通称された。奥田頴川や青木木米もこれの名工である。 |
一陽窯
いちようがま |
備前焼、木村宏造の窯。備前焼窯元「六姓」の内代々池田家御細工人を務めた木村長十郎を祖とする。1000年の間先祖伝来の伝統と誇りを引き継ぎ、窯の火を絶やすことなく脈々と焼き続けられている。木村一陽の長男。 |
菊渓窯
きくだにがま |
永楽和全の窯。和全は隠居後、愛知県岡崎で製陶したが、再び京都東山下河原に窯を築いた。東大谷の菊渓に源を発する小川の側に窯があったので、菊渓窯と名付けられる。永楽印とともに、菊谷の小判形または瓢印を併用した。 |
志賀焼
しがやき |
対馬厳原郊外の志賀の陶器。享保11年、平山意春らによって御用窯としてはじめられ寛政3年ごろには民窯として染付の茶碗などを焼いた。文化年間、吉田又市が独特の風格を持つ朝鮮茶碗を倣造し、2代久右衛門・3代愛助・4代康人が業を継ぐが、康人が没すると廃窯となった。朝鮮茶碗の写しをはじめ、堅焼に鉄絵の竹の絵茶碗等が有名。 |
松古窯
しょうこがま |
伊勢国三重郡朝日村字小向で元文(1736〜41)頃焼きはじめられた陶器を万古焼と言う。その後、時代・地方により古万古・江戸万古などと称したが、一時とだえ、天保年間に再建される。その後、万古焼の伝統は伝播して、桑名や四日市近辺に開窯するものが続出した。昭和初年、伊勢の万古焼が裏千家淡々斎宗匠より御好窯「松古」の御印を受け、以来独自の作風を以って茶陶を貫いている。 |
膳所焼
ぜぜやき |
近江国膳所(大津市膳所)付近の陶器。まず瀬田焼の名で元和(1615-24)頃に起こったらしい。当時、小堀遠州は近江奉行であったことなどから、遠州の指導が考えられる。遠州好みの茶入として「大江」「白雲」が有名。
現在では染付・赤絵・金襴手。仁清写し・朝鮮唐津写しなども焼成されている。 |
| 風炉師 |
山崎 宗元(2代)
やまざき そうげん |
大正12年、京都生まれ。金沢美術工芸専門学校陶磁科卒。昭和9年加賀に移り、風炉師を創業。雲華焼を父に、彫刻を都賀田勇馬に師事。昭和35年、二代目宗元を襲名。雪華焼のもつ瀟洒で素朴な味わいを生かし、品格のある茶陶づくりに専念する。 |
寄神 崇白(3代)
よりがみ そうはく |
昭和12年、京都生まれ。雲華焼土風炉師の父・2代崇白に師事。昭和50年、3代崇白を襲名。黒の土風炉は格調高く、窯変による雲華の景色は楽しいものを心がけ、茶の心にそう、用途を大切にした作品を制作。 |
| 釜師 |
角谷 与斎(3代)
かくたに よさい |
昭和13年、釜師二代角谷興斎の長男として生まれる大阪市立工芸高校金属工芸科卒。父に師事、昭和45年三代目与斎襲名。茶道具の制約を破ることなく新しい道具、「生きもの」となる釜づくりに心血を注ぐ。 |
高橋 敬典
たかはし よしのり |
大正9年生まれ。重要無形文化財保持者、長野垤志に師事する。
釜肌、蓋、かん付にも細心の注意をはらい、使いやすく用に即するためのさまざまな制約の中で、創意、工夫をこらす。代表作は鼓形波地紋釜(文化庁買上げ)
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西村 道仁
にしむら どうにん |
西村家の始祖。通常国次。京都三条釜座に住し、信長から天下一の称号を賜わり、信長御用釜師として名人の評が高かった。作風は、荒肌で変わった形のものが多いが、真作と思われるものは少なく、名越善正との合作を含めて三釜が「名物釜所持名寄」にあげられている。 |
宮崎 寒雉(13代)
みやざき かんち |
大正4年。加賀藩主の御用釜師として寛文年間より続く家系に生まれる。石川県立工業学校卒業後、父・12代宮崎寒雉に師事。昭和39年、13代寒雉を襲名。茶室の中で茶人に好まれる釜づくりに徹し、初代からの伝統ある寒雉釜の重厚さを受け継ぐ。 |
| 竹細工師 |
田中 篁斎(初代)
たなか こうさい |
明治45年、加賀生まれ。京都に出て父・呉竹に師事、15歳で竹籠師亀山古竹斎に師事。茶道を目片宗逸のもとで学ぶ。京都の伝統工芸に創意を加え、茶道具制作に専心。好物も多い。 |
| 指物師 |
石崎 芦流(3代)
いしざき ろりゅう |
昭和3年、京都生まれ。京都美術工芸学校彫刻家卒。昭和26年、父・茶道指物師芦流に師事。昭和55年、三代目芦流を襲名。平成7年、京都市伝統産業技術功労者の表彰。平成9年、団扇(久田宗匠筆)で、京都府知事賞受賞。 |
川本 光春(2代)
かわもと こうしゅん |
昭和9年、京都生まれ。指物師初代川本光春の長男。59年2代光春を襲名。初代が淡々斎より祥桑軒(しょうそうけん)の軒号を頂き、桑材を主体に古来の伝統を守りながら、現代の茶道に見合ったデザインをとり入れ、桑の美しさをいかせる形の表現につとめる。 |
| 蒔絵師 |
飯田 光秋
いいだ こうしゅう |
昭和15年、京都生まれ。京都市市立日吉ヶ丘美術工芸高等学校卒。昭和34年、上原清に師事し、蒔絵を習う。先師に迎田秋悦、井田宣秋があり、「秋」の字をもらい、飯田光秋を名乗る。昭和47年以降、伝統的漆芸蒔絵に専念する。好み物も多い。 |
川瀬 表完(3代)
かわせ ひょうかん |
昭和8年、京都生まれ。父・初代表完に師事。木村表斎を派祖とする表派の作風、技法を祖父、父より継承する3代目。京塗の伝統を守りながら、多様化する現代生活にとけこみ、対応できる漆芸品創作をめざす。 |
坂田 峰俊
さかた ほうしゅん |
蝋色師坂田家の長男として生まれ、昭和51年、前端雅峯に入門。漆芸技法全般を修める。現在雅峯工房在籍中。
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前端 春斎
まえはた しゅんさい |
昭和39年、前端雅峰の長男として生まれる。父・雅峰に師事。また保谷美成のもとで加賀蒔絵を学ぶ。昭和60年、3代春斎を襲名。63年、米国フロリダで蒔絵の技術指導を行う。琳派の作風めざし、古典技法を追求しながら、茶道具を中心に制作。 |
山下 甫斎(2代)
やました ほさい
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昭和19年、石川生まれ。塗師である父・山下清峰に師事。一方で下地、蒔絵の技を独学で修得。53年、2代甫斎襲名。茶道具の伝統をいかし、制約を守りながら現代風なアレンジを加える。作家よりもむしろ職人として時代を超えて遺る道具をつくることを目標とする。 |